クリックすると拡大写真がご覧戴けます(640×880ピクセル、95.2KB。)。



代表 田村文生より


開始以来ご好評頂いておりますEnsemble Contemporary αによるリサイタルシリーズ、毎回、大胆な選曲と「コンポラ」ならではのコラボレーションで好評を博しております。本日は、都合により延期させて頂きました黒田亜樹が、満を持しての登場です。
  今回は「独奏〜協奏〜交響・・・ピアノの全て」というタイトルの通り、ピアノの多様な表現形態を追究します。独奏として、川島素晴によるアクションを交えたポリフォニーをユーモラスに。公募招待作品として選曲した篠田昌伸氏の作品では、作者の解説するように、黒田亜樹を想定した作品で、彼女のピアニズムとのベストマッチを。また演奏メンバー6名との協演によるジャレル作品では、正統派西洋現代音楽の硬質で豊かな音色世界が堪能できます。そして今回の注目はシェーンベルク。名作「室内交響曲」を、何と1人で弾ききります。今まで我々が演奏した全ての曲目中、最も古い時代の作品でありながらも、その先駆性を感じさせる選曲ではないでしょうか。自由な感性でピアノの現在を見つめる黒田の、真骨頂が示されます。

黒田亜樹より

本日は、Ensemble Contemporary α Recital Series vol.12 黒田亜樹ピアノ・リサイタルに足をお運び頂き、有難うございます。 6月には思いがけず公演直前に怪我をしてしまい、皆様には大変ご迷惑、ご心配おかけいたしました。お陰様で無事に回復し、本日を迎える事ができました。改めて、元気で演奏出来ること、新しい作品に出会える幸せを感じています。 私は随分前から、いわゆるピアニストという枠を少し窮屈に思っていて、その枠をどうやって広げられるか、が興味の対象でした。ピアソラのキンテートを、ピアノソロに編作して演奏したり、ELPのタルカスをイタリアの作曲家、ピサーティに現代音楽ヴァージョンで書き直してもらってみたり、、、そんな中でこのリサイタルの話があって、つい手を出してしまったのがシェーンベルクの室内交響曲第1番ピアノソロ編曲でした。オリジナルは15の独奏楽器群のための名作ですが、それを作曲家と親交の深かったピアニスト、シュトイアーマンがピアノソロに編曲していたのです。演奏が困難なため滅多に弾かれることはなく、本番に向けて仕上げてゆくのは相当な苦難でもありましたが、同時に彼のアレンジの妙に楽譜を前に感嘆するばかりでした。ジャレルの「Modifications」は、スイス「ティチーノ音楽祭」にて、ベルナスコーニ指揮「アンサンブルティチーノムジカ」と今年の7月21日に協演し、ジャレル氏本人にも喜んでいただく事が出来ました。


日時
2003年11月20日(木)19:00開演(18:30開場)

場所
けやきホール (代々木上原駅下車徒歩3分)

入場料
入場無料・完全申込制

助成
芸術文化振興基金

後援
日本現代音楽協会



篠田昌伸(1976- ) / ジャンクション (2002-03/初演) 
*公募招待作品

A・シェーンベルク(1874-1951) / 室内交響曲第1番 (1906)
[E・シュトイアーマン編曲ピアノ独奏版/日本初演]

川島素晴(1972- )
/ ピアノのためのポリエチュード「ポリスマン/トランポリン」(2001)

M・ジャレル(1958- ) / モディフィカシオン (1987/日本初演)
[ジャレル作品協演] 指揮:夏田昌和 cl:原田綾子 bsn:塚原里江  hrn:萩原顕彰 vn:佐藤まどか vla:花田和加子 vc:多井智紀



篠田昌伸 / ジャンクション

去年12月のEnsemble Contemporary αの公演を聞きに行った際に公募のことを知り、その時ちょうどピアノ曲の楽想があったこともあり、急ピッチで仕上げた曲です。なので、少なくとも僕が思うところの、黒田さんのピアニズムがかなり意識されています。曲のアタマにおいて、異なる種類の、しかし性格の強いいくつかの楽想がぶつかりあうことから、「合流点」というタイトルが導きだされました。そこからそれぞれの楽想がどのように演繹されて行くか、というところをシリアスに書いていった、つもりではありますが、そう素直にもなりきれなかった部分があることも否めません。初演してくださる黒田さんに感謝します。
(篠田昌伸・記)

A・シェーンベルク / 室内交響曲第1番
[E・シュトイアーマン編曲ピアノ独奏版/日本初演]

シェーンベルクの何たるか、については、詳述を避けつつ概観するなら・・・
後期ロマン派の継承・発展の果てに無調音楽へと至り、やがてヨーロッパ前衛の扉を開く「12音技法」を開発。弟子であったベルク、ウェーベルンと共に「新ウィーン楽派」と称され、20世紀音楽の一側面を代表する存在である・・・とでもなろうか。
そんなわけだから、19世紀の作品すらあるのに、例えば某CDショップでは何故か「現代音楽」のコーナーに並べられているシェーンベルクだが、本日演奏する作品、そして直後に着手し後年完成された作品の、計2つ存在する「室内交響曲」を含めて、「調性時代」の作品も多く、弦楽六重奏(或いは弦楽合奏)のための「浄夜」op.4 (1899)、歌、合唱と管弦楽のための「グレの歌」(1900-11)、管弦楽のための「ペレアスとメリザンド」op.5 (1902-03) 等こそを彼の代表作と考える向きも多かろう。本日演奏する「室内交響曲第1番」op.9 (1906) も、定義的には「調性時代」のもである。「無調」に踏み出した最初の作品とされる「弦楽四重奏曲第2番(歌を伴う)」op.10 (1907-08) の直前の作品ではあるが、響きとしては無調時代のそれと比して明度の高いものとなっている。
しかし、調性の理論で汲み取れる限界、或いは、既にその範疇を越えている要素も含んでいる。
従来の調性の聴感覚は、「ド・ミ・ソ」といった、3度の堆積によって形成される「三和音」を基礎に構築されていた。例えば、ドビュッシーが開発した、長2度を重ねて得られる6全音音階の響きは、調性的な聴感覚では「中心」を把握できないものである。この作品でもそれは取り入れられているが、更にここでは、主要主題である「完全4度」を重ねた、いわゆる「4度堆積和音」がフル活用されることで、より一層、調的中心を曖昧にしている。単体としては協和度の高い「完全4度」を重ねているので響きの明度は高いが、調的中心は不明確となる。このような手法が、この作品の持つ、調性と無調の狭間の音感を実現しているのである。
この作品の特徴としてしばしば言及されるのは、こういった音感の問題ともうひとつ、その先駆的な編成についてである。フルート、オーボエ、イングリッシュ・ホルン、小クラリネット、クラリネット、バスクラリネット、ファゴット、コントラファゴット、ホルン2、弦5部の、計15名のみによる「室内管弦楽」を想定しており、マーラー(そして自身の「グレの歌」等)をはじめ、後期ロマン派時代に巨大化する傾向にあった管弦楽編成への反動であり且つ、作品ごとに編成の独自性を追究する姿勢のはしりでもある。このような編成は、総奏においては管弦楽のそれに匹敵する充実感を持ち、同時に室内楽としての繊細さをも併せ持つ。独奏の集積としての合奏は、従来の管弦楽以上に技巧的な楽案を各楽器に与えられるし、しかもそれらを対位法的に複雑に重ねることもできる。大管弦楽だと、複雑にすればするほど響きが濁ってしまうが、この編成では、どんなに入り組んでいても細部までクリアに聴衆に届くのである。
この作品以来「室内管弦楽」というジャンルは、大管弦楽以上に作曲家の取り組む定番編成となり、その証拠に、(当団体も含めて)世界各地にそのような現代音楽演奏団体が多数存在しているのである。さて、しかし今宵は、そうやって書かれた作品を「ピアノ独奏」で弾く、というのだから、事態はやっかいである。15人が思う存分動きまわれるのを特長とする編成だけに、それを1人で弾くというのは、大管弦楽の作品を弾くよりもむしろ大変なことなのである。1913〜15年にベルクがピアノ譜を起こした形跡もあるし、そもそも2台ピアノ版、或いはウェーベルン編曲によるピアノ五重奏(「ピエロ編成」)版というのはそれなりに演奏機会も持たれ録音も存在しているが、本日は、ユニヴァーサル社から1922年に出版された、シュトイアーマンによるピアノ独奏版を上演する。シュトイアーマンはシェーンベルクの終生のコラボレイターであり、この編曲も、ピアノ演奏の限界ギリギリで可能な限り原曲の音を拾い、見事に構造や意図を維持するという、楽曲への深い理解に裏付けられた徹底した仕事となっている。なのに、(というよりむしろ、だからこそ、)その難度故に、この版は滅多に演奏されない。しかし筆者が考えるには、優秀なピアニストの手にかかれば、原曲の複雑な構造はむしろ明瞭に聴き手に届き、15名の奏でる音色はそれに匹敵する多彩なタッチによりすっきりと充実した響きとなる。その結果、例えばリストのピアノソナタに見られるような、ピアノ作品としての重厚で緻密な時間が実現している。その体験は、原曲のそれに優るとも劣らない、充実したものたり得るであろう。
  楽曲は長大ながら、単一楽章となっており、ソナタ形式を構成する3部分に、スケルツォ楽章、緩徐楽章を挿入したかのような全5部分(即ち、1[提示部・ホ長調]〜2[スケルツォ(非常に速く)・ハ短調]〜3[展開部]〜4[緩徐部(非常に遅く)]〜5[再現部・ホ長調])を、続けて演奏する。主題は、完全4度の上行による決然としたもの(これが最も主要で支配的なものである)に続いて、半音階の下行を主体とした旋律的なもの、全音音階の分散和音を主体としたリズミックなものという、それぞれに特徴を持つ3つがまず示され、そこから導かれて次々主題が派生する。そしてそれらが徹底的に分解、融合、発展していく。ピアノ1台でも、十二分にめくるめく音の万華鏡をご堪能頂けることであろう。
(川島素晴・記)

川島素晴 /
ピアノのためのポリエチュード「ポリスマン/トランポリン」

ピアニスト1名による「ポリフォニー」の可能性を探求するエチュードの連作・・・といっても、各曲のネタは「ポリ」に因んだ駄洒落、というのがどうにも寒い。けど、その割に内容は熱い。「ポリスマン」では、3層のコードによるパルスがそれぞれに加速・減速するという、文字通り「手の込み」ようで、しかもそれらのコードは「警笛」「手拍子」「足踏み」と関連付けられていて、もう、はちゃめちゃなことになる。逆に逮捕されちゃわないように、ね。
  「トランポリン」では、ボヨ〜〜〜ンと、バウンドする上昇・下降曲線のリズムを、厳密に記譜して表現している。厳密に書いてあるおかげで、そのような運動を多層的に演奏できちゃう(つまり2人目登場も可能な)わけ。ぶつからないように気を付けないと、ね。
  ・・・「ところで、衣装はどうしましょう。」って言われて、「ミニスカポリス」
→「ブルマ」と提案したら、さすがに却下されました(泣)。
(川島素晴・記)

M・ジャレル / モディフィカシオン

私にとって音楽は、音響的素材と精神的概念の2つの要素の相互作用である。両者は共に表現の手段であり日々積みあげられてゆくものである。音響的素材というものは、それが精神的概念として上手く作用するために整理されるべきものだが、例えば古典的な音楽では、それはおおむね個々の作曲家の良心のもとに統合され、ある意味一般化されている。しかしながら20世紀における音響素材の拡大と、作曲家固有の語法あるいはシステムの細分化による「共通言語」の不在は、やがて音楽の受容形態・方法そのものが議論の中心にされる、ということへ繋がった。これはさらに言えば、「音自体」が言語的意味の無いものであるが故、その言語的構造が非常に重要になったということである。Modificationsは、Michel Butorの小説に基づき、様々な音楽の文法的「時制」や「変化速度」というべきものの変容、それによる「状況の」変容として書かれており、例えばソリストの音の暫時的な変化が、結果的にアンサンブルに統合されるに至るという状況の変化を表している。また同時に、音楽の主軸として反復される音を含有する2つの対極的な要素が、循環しながら発展する。聴衆は、ある定められた音から、トリルや様々な細かい動きの音符を経て、装飾音群へ辿り着くまでの変容を追うということになる。そしてこれらは音の認識のための指針(シグナル)として、また形式的側面からは、作品の様々な「部分」への繋がりを暗示するものとして作用する。
  このような仕掛けは単なる作曲上の遊びに止まらず、心理的な現象や言語的探求に繋がるのではないだろうか。それは、動機、固定されたピッチ、音楽的身振りなどの知覚可能な要素が、聴衆によって言語的に理解され、均質化された意味を把握できるようになるという、組織化の過程でもあり、構成する素材の要素を吟味することによって、音楽がある程度の流動性を保ちつつ、私の他の作品にも通じるような持続性を確立するということである。同じようなアイデアを絶えず持ち続けたジャコメッティやヴァレーズに触発され、私は一つの自己分析として、自分なりの展開を見出そうとしている。
  フランス文化省の委嘱により作曲、1987年ストラスブールにて、クロード・エルフェ(pf)、アルトゥーロ・タマヨ指揮アンサンブル・コントルシャンによって初演された。(作品集CD[ACCORD 204232]記載の作曲者本人の解説より翻訳・編集)

Michael Jarrell
1958年ジュネーブ生まれ。ジュネーブ音楽院卒業の後、フライブルクでクラウス・フーバーに師事。79年タングルウッド、ベートーヴェン賞(86年)ガウデ
アムス作曲賞(88年)など数々の賞に入賞。86年からは各地のレジデント・コンポーザーとしてパリ、ローマ、リヨンなどで活動、93年よりウイーン音楽大学教授。
(田村文生・記)

Home>Archive>リサイタルシリーズ vol.12