代表 田村文生より

皆様、本日はご来場頂き誠に有難うございます。毎回、大胆な選曲と当団ならではのコラボレーションでご好評頂いているリサイタルシリーズ、本日の佐藤まどかヴァイオリンリサイタル「クオリアの希求―Finland & Japan」では、フィンランドの20世紀音楽と日本の新しい音楽で構成致します。創作期が19世紀から20世紀に跨るシベリウスの音楽、それをネオ・クラシックとして受け継いだエングルンド、そして戦後世代のネヴァンリンナ、サロネンという選曲によって、一夜にしてフィンランドの20世紀創作界の潮流を概観する趣向となっております。これらに加え、我々の作曲家メンバーである西田直嗣と米倉香織の作品、そして今回のリサイタルのための招待作品として、テキストが叙情的に表現された志田笙子さんの独奏曲と、フルートとヴァイオリンの切迫した関係と微分音の揺らぎが見事に表現されている野田憲太郎さんの二重奏曲が加わります。更に、ご注目頂きたいのは、シベリウスのスペシャリストである佐藤の面目躍如、「ララバイ」の日本初演です。本日は、原曲での使用されているフィンランドの民族楽器「カンテレ」を日本の筝に代えて演奏致しますが、民族の血筋を同じくする、とも言われているフィンランドと日本の新しい音楽を象徴するかもしれません。
非常に多彩なプログラムとなりました本日のリサイタル、ごゆっくりお楽しみ下さい。

佐藤まどかより

Qualia…感動の本質。

音は心を映す鏡、芸術家はひとつひとつ大切に音を紡いでいます。

私がそのエネルギーを感じ、一期一会の素晴らしさに気づいたのは、戦時下のザグレブでした。オペラハウスでの満員の聴衆は熱狂的で、終演後にかけつけた方々にこういわれました。

「感動と勇気をありがとう。この時代にこそ、
あなたの音楽が希望を与えてくれるのです」

21世紀を迎えた今、音の表現の幅は拡大しているのではないでしょうか。今夜は、博士課程で研究したシベリウスを源とする「フィンランド音楽の潮流」を、エングルンド、ネヴァンリンナ、サロネンと追い、志田笙子、西田直嗣、野田憲太郎、米倉香織の作品に聴かれる「日本の今」とともにおおくりいたします。

みなさまと素敵なクオリア体験ができることを願って。

共演の及川夕美、木ノ脇道元、水谷隆子への感謝をこめて。

クオリアとの出会いを求めて
茂木健一郎(脳科学者)


 出会ったことを忘れずに何時までも覚えていることがある。心の奥深くに印象が刻み込まれ、月日が経つとともに色あせるどころか、ますます輝きを増してくるのだ。
演奏会は、そのような一回性の体験に出会えるチャンスを与えてくれる。ペーター・シュライヤーが素晴らしい歌唱の後、舞台から引っ込む時に見せた笑顔。ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、『メサイア』を指揮していたメニューヒンが、遅れてきた観客が席につくまで、指揮棒を上げたまま待っていたその姿。何時まで経っても忘れられない。そして、心の宝になる。
人生でたった一回だけしか出会わないかもしれない印象のことを、最新の脳科学では「クオリア」という。佐藤まどかさんは今夜の作品にどんなクオリアを託してくれるのだろう。目を閉じた時、そこに浮かぶ風景は何だろうか。最後の音が消える時、舞台の上に残された美しい残像は、きっと私たちの心の中の掛け替えのない印象へと変わるはずだ。


日時
2005年6月28日(火) 19:00 (18:30開場)

場所
すみだトリフォニーホール・小ホール
JR総武線・錦糸町駅 ・北口・東京メトロ半蔵門線3番出口から徒歩3分。駅前広場から道路沿いに左方向

入場料
全席指定 \3500(当日) \3000(前売)
学生割引=\1500(事務局前売りのみ)
2公演通し割引=¥5000 (事務局前売のみ)

CNプレイガイド 03-5802-9990
(下記事務局でもお取り扱い致します)

助成
財団法人ローム ミュージック ファンデーション,
芸術文化振興基金

後援
日本シベリウス協会

タピオ・ ネヴァンリンナ / Yli Kirkkaan (明るさの上で)
(1983/日本初演)

米倉香織 / 所沢バラード (2003)
共演:水谷隆子(筝)

野田憲太郎 / Most Important Thing (2004-05/初演)
*公募招待作品
共演:木ノ脇道元(fl)

エイナル・エングルンド / 序奏とカプリッチョ (1970)
共演:及川夕美(pf)

ジャン・シベリウス / ララバイ (1899/日本初演)
共演:水谷隆子 (筝=カンテレ・パート)

志田笙子 / ヴァイオリン独奏のための四季 より「夏」
(2003/日本初演)公募招待作品

エサ=ペッカ・サロネン / 笑いを忘れたシャコンヌ
(2002/日本初演)

西田直嗣 / 遠い眼 II (1993/2005/初演)
共演:及川夕美(pf)



タピオ・ ネヴァンリンナ / Yli Kirkkaan (明るさの上で)

フィンランドの戦後世代であるネヴァンリンナ(1954−)は、ヘルシンキに生まれ、シベリウスアカデミーでヴィオラ、打楽器、作曲を学んだ。アカデミー入学前よりヴァイオリンを学んでいたというこの作曲家によるヴァイオリン独奏曲である。「明るさの上で」と訳されたこの作品は、佐藤自身がシベリウスコンクールの入賞者ガラコンサートで演奏したもので、今回は日本初演となる。
1本のヴァイオリンで演奏される作品でありながら、ネヴァンリンナの特徴のひとつである対位法的な技法が随所に見られる。ヴァイオリンの多様な音色が活かされ、複数の線が絡み合い、音響のコントラストが効果的に形作られてゆく。(米倉香織)

米倉香織 / 所沢バラード

2年前、所沢に住んでいた頃の作品。ヴァイオリンと箏という別々の二つの世界が、無関係に、そして時には寄り添いながら歩んでいく形で書いたものである。当時の関心は、楽譜に書き表し難い微細なニュアンスというものにあった。時にはそのニュアンスを細かく規定してもいるが、多くは演奏家のインスピレーションに委ね、音の運動の生命力が生まれるのを期待して書かれている。(米倉香織)

野田憲太郎 / Most Important Thing

今回の作品を書くに当たって、1小節あたり0.292秒、0.4秒、0.631秒(小数点第四位以下切り捨て、コーダを除く)という非常に短い時間単位を連接させる技術に関心があった。主に音価と音高に基づく素材の生命力を無視し、曲尾までパラメータ置換が行われつづける点は、以前の私の作品とそれほど変わっていない。が、最小の知覚モデルが0.7秒を切っている点、ありふれた初期設定から書き始める点は、新たな創作上の展開を示している。このような音楽は数名ほどの奏者の為の室内楽作品でなければ、実現は困難である。
私にとって「最も大切な」事は、如何なる音楽も耳で把握される知覚モデルの稼動状況であると認識することである。
野田憲太郎 2005年3月6日午前0時25分

エイナル・エングルンド / 序奏とカプリッチョ

第二次世界大戦がフィンランド音楽界に与えた影響というのは少なくないが、エングルンド(1916−1999)は中でも、自身の創作に直接的に戦争の雰囲気や記憶というものを滲ませたという意味で、その影響を大きく受けた作曲家だといえるだろう。ショスタコーヴィチに親近感を抱いていたという彼は、戦後間もないフィンランドの重要な潮流のひとつである、新古典のスタイルで多くの作品を残している。とりわけ、シベリウス後あまり省みられなくなった交響曲というジャンルを復活させたところに、彼の音楽的な興味と思想が強く現れているように思える。
エングルンドは1960年代に入ってから10年間ほど、表立った創作活動から遠ざかっている(その間、名前を変えて軽音楽等の制作に取り組んでいた)。前衛主義的傾向が広まってくる中、自らのスタイルと音楽界の潮流との隔たりを感じていたのだろう。この「序奏とカプリッチョ」は、彼が再び作曲界の表舞台に戻ってきた頃の作品である。タイトルから察せられる通り、古典的な趣きの強い作品だが、結局この後の彼の作品でも、強い形式感、調性的な中心の存在など、伝統的な形式が作曲法の中心となる。この作品では全体にわたって明快なリズムが特徴的であり、その上にヴァイオリンの動きが即興的に、時にユーモラスに繰り広げられる。
(米倉香織)


ジャン・シベリウス / ララバイ

シベリウスはカンテレのために、2つのソロ作品と1つのヴァイオリンとカンテレの作品を書いている。カンテレとはそもそも数百年にわたってフィンランドで引継がれてきた民族楽器で、初期の5弦のみのものから改良が重ねられ、1920年代に現在の形になった。
  シベリウスとアイノの新婚旅行がカレリア地方への旅であったように、彼はフィンランドの民俗音楽の収集に赴いては、しばしばカンテレの演奏を聴いている。
この作品は、1935年に印刷されて知られるようになったが、1899年の9月11日、作家ユハニ・アホの誕生日を画家ペッカ・ハロネンの家で祝っていたときに作曲された。ハロネンの母が息子であるハロネンと弟に5弦カンテレで民謡を弾くように頼み、それにこたえたハロネンの演奏にシベリウスがヴァイオリンのパートを書き加えたものである。
  時代の流れにおいて、自身の中の民族意識を強く自覚しながらも、音楽という言語においては直接的な表現を避けていたシベリウスが、民俗音楽に対してつけたメロディー…そこには彼の血に流れるアイデンティティーが聞こえるのではないだろうか。今夜はカンテレを日本の箏にかえて演奏する。(佐藤まどか)

志田笙子 / ヴァイオリン独奏のための四季 より「夏」

この曲は四季というタイトルのものに作曲された7つの俳句によるバイオリンソロの最初である夏の部分で、各季節はそれぞれは独立して存在するものの全曲演奏の場合にはこの夏から開始することになっている。
  夏は松尾芭蕉の   ほととぎす 泣き泣き飛ぶぞ いそがはし
    加賀の千代女  とんぼとり 今日は どこまでいったやら
を題材にして書かれている。俳句の選択については、日ごろ思考していたところの音空間というものに対する作曲者自身のとらえかたに適合しそうなものから選ばれたということが出来る。各季節はほとんどただひとつのテクニックを使い、また夏に表現されたモチーフは最後まで何らかのかたちで再現される。加賀の千代女の空間と芭蕉のそれとがまるで異なっているのを見逃すことは出来ないし、面白いのは作曲中に自身の空間が千代女から芭蕉に、芭蕉から千代女にとひんぱんに揺れ動いたことであった。(志田笙子)

エサ=ペッカ・サロネン / 笑いを忘れたシャコンヌ

1970年代から80年代にかけて、フィンランドでは新しい創造のスタイルを求めて、音楽家たちの活発な動きがみられた。Avanti!やToimii!など、様々な作曲家グループや楽団がこの時期多く生まれている。これらの楽団の創立にサロネンが広く関わっていたこと、そして指揮者として同世代の作曲家作品の初演を数多く手がけてきたことを考えると、彼が創作界へ果たした役割の大きさが伺えるだろう。サロネンは指揮者としての知名度の方が勝るのが実情ではあるが、近年のサントリー音楽財団委嘱作品をはじめ日本でも多くの作品を聴く機会があり、作曲家としての活動も活発である。一時期はモダニズムへの興味を見せたものの、最近のサロネンの傾向としては、古典的な作曲技法への回帰が見られる。
この作品ではヴァイオリンの開放弦が多く使用され、楽器をよく響かせることに注意が払われている。力強い節回しや無窮動的なパッセージなど、演奏家の技巧を引き出す要素が各所に溢れている。タイトルは原語では“LACHEN VERLERNT”となっていて、これはシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」の第9曲、「ピエロへの祈り」の中の一節からとられたもの。(米倉香織)

西田直嗣 / 遠い眼 II

「遠い」とは、主に距離が離れている事を意味しますが、「遠い眼」は「眼」のあり方における永続的ではない一時的な状態を表しています。それは、視界よりも自己の意識に集中した結果生じた様相であり、外界を見る事なしには存在しない様相です。「遠い眼U」を書いた10年前自己への意識からの解放が自らの命題となっていましたが、現在その必要性は失われました。結果「遠い眼U」では、外界に対する意識がより強まり、自己はその中に埋没し、クオリアの残骸が残されているだけでしょうか。
曲は、曲初と中盤に表れる二度のVnソロが自己への意識を意味し、ピアノが自己を含んだ外界を意味しています。曲尾では二つの意識のバランス量が最高点に達します。(西田直嗣)

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