公演プロデューサー
川島素晴より


この「リサイタルシリーズ」も、もう長いことやってきていて、1997年に始めて以来、今回で17回目となる。メンバーの一巡が見えてきた頃、そろそろ別の角度で取り組まないとネタ切れする・・・という状況の中、2003年に、デュオの企画、しかも、作曲メンバーがプロデュースし、演奏メンバーとコラボレイトして開催する、というものが始まった。初回はヴァイオリンデュオリサイタルという、まだ、普通の(といっても滅多にやられることはないが)組み合わせだったが、昨年のデュオ企画は、バスーンと打楽器という、異色の組み合わせとなった。これに続いて、今年も、トランペットとコントラバスという、これまでに例を見ない組み合わせでのデュオとなる。(ちなみに、来年は大村久美子プロデュースによる木ノ脇道元&池上亘デュオ、即ち、フルートとトロンボーンという、これまた前例のない組み合わせで開催する。)
今回の二人は、実は2000年に既に一緒に当シリーズで登場しているわけだが、今回も偶然、デュオを組んでもらうことになった。そもそも当団体で最も経験豊富な曽我部は、本日もその片鱗が垣間見える「野口体操」なるものに取り組みながら、全く世代格差を感じさせない驚異的なパワーと、次々新しい領域を開拓する類稀な知性を併せ持っており、今なお、音域や奏法などを拡張し続けている。一方の柳澤は、当団体では比較的年少組(?)に属するが、オーケストラの職場である山形と東京をマイカーで往復しながらの参加というハードな状況をかいくぐって、今回のような極めて特殊な表現にも果敢に順応し、普段の朴訥な表情からは想像できないパフォーマンスを展開してくれることだろう。
今回のような特殊な組み合わせでは、なかなか既成作品は組みにくいものだが、本日最初に上演する「HALT」があった。
・・・以下、解説に続く。

代表 田村文生より

皆様、本日はご来場頂き誠に有難うございます。
毎回、大胆な選曲と当団ならではのコラボレーションでご好評頂いているリサイタルシリーズ、本日の曽我部清典・柳澤智之デュオリサイタルは、5年前にそれぞれソロリサイタルを果たした2名が、デュオとして再登場します。曽我部は既に、現代音楽ファンではその名を知らない者はないほど、長年に渡って活躍、毎年多くの作品の初演を手がける、もはや 「ベテラン」 の演奏家です。一方の柳沢は、5年前のソロリサイタル以降、ますます現代音楽の分野に意欲を燃やしている 「若手」 ということになるでしょう。このような世代の異なる2人の演奏家を前に、「演じる音楽」 を標榜するプロデューサー・川島素晴は何を仕掛けてくるのでしょうか?チラシ写真の何だか妙?な雰囲気に、期待を膨らませて (?) 本日お越し頂いているのではないかと思います。
皆様ごゆっくりお楽しみ下さい。

曽我部清典より

今日は全く忙しい。「演奏」 はこの手のコンサートでは常に忙しいが、今日は尋常ではない。しかも、かなり無理なシチュエーションが用意されている。旅する青年 (!) になったり、コントラバスに寄生したり、果てには多重人格者が人格統合を果たすなんて事もやらなければならない。そういば<play music>は 「演じ奏でる」 と書くよなあ・・・。寛容な聴衆 (観客) の皆様の豊かな想像力に期待します・・・(祈)

柳澤智之より

よくぞ、チラシの不気味さに惑わされずにご来場くださいました。感謝申しあげます。トランペットとコントラバスの珍しい組み合わせによって、なかなか面白い作品がそろいました。今回作曲してくださった方々に感謝します。


日時
2005年6月29日(水) 19:00 (18:30開場)

場所
すみだトリフォニーホール・小ホール
JR総武線・錦糸町駅 ・北口・東京メトロ半蔵門線3番出口から徒歩3分。駅前広場から道路沿いに左方向

入場料
全席指定 \3500(当日) \3000(前売)
学生割引=\1500(事務局前売りのみ)
2公演通し割引=¥5000 (事務局前売のみ)

CNプレイガイド 03-5802-9990
(下記事務局でもお取り扱い致します)

助成
財団法人ローム ミュージック ファンデーション,
芸術文化振興基金



■ カールハインツ・シュトックハウゼン /
HALT (1978/83/日本初演) [trp, cb]

 

松平敬 / ゲシュタルト崩壊 (2005/世界初演) [trp, cb, 川島]
    *公募招待作品

清水一徹 / パラサイトロンバ (2005/世界初演) [trp, cb]
    *公募招待作品

北爪やよひ / エネク IX (2005/世界初演) [trp, cb]
    *公募招待作品

川島素晴 / ポリプロソポスIIb (2000) [trp]

川島素晴 / パgani蟹/Paganinissimo (1999) [cb]

 

川島素晴 / インヴェンションIV (2005/世界初演) [trp, cb, 川島]

 



カールハインツ・シュトックハウゼン / HALT

シュトックハウゼンといえば、先週末に東京にてオペラ「光」の最終部分の日本初演を終えたばかりだが、本日ご来場の皆様の中には、それにご参加だった方も多いのではなかろうか。1977年の来日の折に初演された「暦年」を皮切りに、今回28年ぶりに来日して日本初演された「リヒト・ビルダー」(2003)に至る26年間、全ての創作はひとつの連作オペラ「光」に費やされた。この「月曜日」から「日曜日」までの7つの部分から成るオペラの全ての上演には29時間を要し、計画段階では7日間での上演を意図していたが、それは上演準備の困難さなどから不可能とさえ言われている。(上演4日間のワーグナー「指環」を超えた時点でギネスブックに掲載され、更新される気配はない。)
1950年代からトータルセリー、群、モメンテ、直感音楽・・・と、天才的なまでに自己の創作理論を発展させてきた彼の到達点は、「フォルメル」という概念であった。これは、旋律素材に含まれる音程、音価などの情報をもとに、全体の構築へと敷衍させる考え方で、オペラ「光」は、ミヒャエル、ルツィファー、エーファの3名の主要な登場人物のそれぞれに与えられた短い旋律「スーパー・フォーミュラ」から29時間の全体が構築されているのである。「光」の特筆すべき点は、器楽奏者たちも舞台上で登場人物を演じなければならないことで、従って器楽奏者は、「テンポの半音階(60と120の間を2の12乗根で掛けたテンポ設定)」に代表される複雑なテンポ設定や、動きに関する演出なども含めて、全てを暗譜して上演に臨まなければならない。
本日上演する「HALT」は、「木曜日(ミヒャエルの学習の日)」の第ニ幕「ミヒャエルの地球一周旅行」の一部分である。ミヒャエル(トランペット奏者がこれを演ずる)をメインにした「木曜日」は、「光」の中でも最も早い時期に書かれ、シュトックハウゼンの息子マルクスによって上演されてきた。(しかし近年、息子は親父の作品の演奏をやめた。彼の超人的なライヴを聴いたことのある筆者は、復活を切に望んでいるが。)
ミヒャエルは、ドイツ、ニューヨーク、日本、パリ、インド、中央アフリカ、エルサレムと旅し、「HALT!(止まれ!)」と叫ぶ。地球は自転を「停止」する。そしてミヒャエルはコントラバス奏者と出会い、友好的対話がなされる・・・といったシーンが、デュオヴァージョンである本作の基になったものである。

さて、このシュトックハウゼン作品で本日の主役2名の「演奏」を堪能して頂いた後、前半は、招待作品3曲が続く。
まずは、バリトン歌手として現代音楽に積極的に取り組んでいる松平敬氏による、プロデューサー川島も含めた「自己紹介」作品。そして、精緻なスコアとユニークなコンセプトで独特な世界を展開する清水一徹さんの作品。さらに、曽我部も実践する野口体操の要素も導入した北爪やよひさんの意欲作。いずれも個性的な楽しい作品を提供して頂いたことに感謝!

松平敬 / ゲシュタルト崩壊

「全体性を失って、個別のみを認識するようになること。たとえば、『清水』の文字をずっと見ていると、意味のない線の集合に思えてくるのが、ゲシュタルト崩壊の例である。」
(フリー百科事典 『ウィキペディア(Wikipedia)』 より引用)
この仰々しい言葉の響きが気に入ったので本日初演される新作のタイトルとして使用したが、この作品に関わらず、20世紀後半以降の作品の多くには何らかのゲシュタルト崩壊的な要素が含まれているといえるだろう。この作品は『おなまえ三部作』の第二作として作曲された(第一作は今年2月に初演された「双子座三重奏曲」、第三作は未作曲の「松平三重唱曲」)。この三部作では初演者の氏名がテキストとして使用されている。今回の作品は本演奏会の出演者である曽我部氏と柳澤氏、および本企画のプロデューサーである川島氏の3人で演奏されることを前提として作曲されている。内容的には3人の自己紹介と、そのゲシュタルト崩壊的変容及び逸脱。3人の氏名のシラブル数である7:8:9の比率を様々に変形しながら使用している。
そかべきよのり・かわしまもとはる・やなぎさわともゆき

清水一徹 / パラサイトロンバ

古楽奏法への関心から、この曲のコンセプトは生まれた。Natural Trumpetの様な自然倍音奏法を主体としたTrumpet(=イタリア語のTromba)と、それに対するContrabassは Tromba marina*に姿を変え、音楽劇を進めて行く (それらの身振り=奏法は非常に限定されたものとなっている)。 この曲は、近代合理化の中で失われたが、かつてはそれぞれの楽器の演奏家たちが持ち合わせていた身体感覚を呼び覚ますためのエチュードである。 この困難な作業に、果敢に立ち向かった二人の奏者に心から敬意と感謝を表します。
*Tromba marina=世界最古の擦弦楽器といわれ、主に倍音のみで演奏された。

北爪やよひ / エネク IX

空気を感じながら ゆっくりと少しずつ息を吐いていく。 重心が下がり ゆるゆると体が動くに任せてみる。 重さは地球の中心に向かって落ちていく。 心は軽く自由で・・いつの間にか音楽は始まっている・・・野口体操を少しずつ理解しようと努める日々の中 この曲が動き始めた。 二人の奏者の間に通うもの 周りに広がっていくものが見えるように 体全体の細胞で音楽を聴こう。 解剖学者三木成夫氏の言葉 「人間の遠い祖先は 管の形で深い海の底に横たわっていた・・・心は内臓にあり」 を思いながら。
即興的に動き 歌い 会話するためには 五線紙上に全てを定着させてしまう方法は不似合いだ。可能性は限りなくありそうなのに その中の一つに決めるなんて本当は出来ない。
即興とは 徹底的に 「現在」 であるべき (舞踏家・岩下徹氏) だとすれば どこまで楽譜に書いてあるのか? 等とは考えずに舞台を楽しもう!
声と楽器の関係 二人のやりとり 乾いた 或いは少し湿り気のある音質 空間と時間の距離感・・・。
熱心に取り組んでくださった曽我部さんと柳澤さん そしてこの機会を与えてくださった川島さんはじめEnsemble Contemporary α の皆様に心より感謝いたします。
ENEK=うた(ハンガリー語)

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  ここで休憩。後半は、川島の作品3曲を続けてお聞き下さい。
  後半1曲目は、ソロなのに今宵一番面倒なセッティングとなって
  います。ご興味がおありの方は、休憩中、各楽器をじっくりご
  覧下さい。なお、セッティングの都合と、奏者の負担などを考慮
  した結果、広告と異なる曲順となってしまったことをお詫びします。
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川島素晴 / ポリプロソポスIIb
「ポリプロソポス」とは、ギリシャ語で「多面」という意味を持つ造語で、単刀直入に言えば「多重人格」といった意味になる。2000年のEnsemble Contemporary αリサイタルシリーズにて本日と同じ曽我部清典によって初演された。この作品にはそもそも、先行作品「ポリプロソポスIIa」があり、こちらは曽我部をソリストとした協奏曲となっている。曽我部自身の開発になるヴァルヴとスライドを併せ持った楽器「ゼフィロス」の、楽器そのものの「多面性」を引き出すべく、ゼフィロスを持った曽我部を囲んで9種類のトランペットを4群に分け、ソリストはその4群の中をぐるぐる回りながら異なる性質を提示していくという趣向であった。本作「IIb」の方は、そのようなアイデアをソロで実現すべく、まずはヴァルヴを4つ持つ「ピッコロトランペット」(素早い音型をまくし立てる)、次いで「スライドトランペット」(まるで酔っ払いのようなグリッサンド主体の音型)、最後にヴァルヴもスライドもない「ナチュラルトランペット」(リズミックな音型を様々な音色で)を演奏。それら3種の「性格」を循環しながら徐々に切迫していく、というアイデアを実現するのに、各楽器をスタンドに設置するという、かつてない方法を用いている。それにより、ナチュラルトランペットでは、両手にミュートを持って交互に抜き差しするという芸当も可能になった。循環の果てに、全ての要素を併せ持つ「ゼフィロス」と化す(多重人格の統合)、というわけだが、右手でヴァルヴ、左手でスライドを駆使していると、ミュートを開閉する手が足りない。そこで、これについても、スタンドに設置したミュート自体に自らの身体を前後させるという方法で解消した。かくして、三位一体の状態に至るわけである。ともかくあらゆる技術を駆使した超絶作品。

川島素晴 / パgani蟹/Paganinissimo
1999年に、現代音楽のコントラバス奏者として第一人者である溝入敬三さんのために作曲。その後、N響首席奏者の池松宏さんもレパートリーにしていて、私の作品中で最も演奏されている曲の一つである。
ヴァイオリン曲として有名な「パガニーニ」のカプリース24番による変奏曲は古今、多数生まれているが、この作品は、「変奏曲」というよりは、「変装曲」であり、主題の旋律線はほとんど変化しない。そのかわり、ありとあらゆる超絶的特殊技巧によってこれを演奏せねばならない。題名は、これら特殊な奏法による音を「パッ!」「ガガガ」「ニ〜」の3種に分類できることから、「パガニーニ」を3種の表記法で分節したもので、では何故「蟹」なのかといえば、「蟹が好きだから」としか説明のしようはない。おかげで、この曲の最初と最後には、蟹が登場することとなってしまった。(そもそも、コントラバスって、カブトガニみたいでしょ?)

川島素晴 / インヴェンションIV
1994年当時、東京藝大作曲科4年次に課された「日本歌曲」なる課題に、私は、日本語を発話するということの根幹を問い直す試み(インヴェンション)をもって応えた。この構想の第1弾は、漢和辞典から「は」と読む文字を全て引いて配列し、様々な発声法でこれを歌い、伴奏はティンパに1台で様々な音色で対応する。これは「不可」となり留年、再提出作品として翌年性懲りもなく書いた第2弾では、現代詩人の詩の断片から名詞を抽出してばらばらに配列し、音節の接合が単語として認識される様子を旋律の形成となぞらえた作品にし、ヴィブラフォンによる和声を同期させた。なぜかこちらは「可」となりどうにか大学を卒業できた。これら2作品はその後も再演を重ねており、昨年、本日招待作曲家となった松平敬さんのリサイタルでも彼の歌唱で再演され、その折に第3弾を発表した。第3弾は、「開演に先立ちまして、皆様にお願い申し上げます」に始まり、様々なシチュエーションで様々な発話のニュアンスを展開していき、プランジャーミュートを駆使するトランペットとトーキングドラムが、それを模倣したりしなかったりする。
今回作曲した第4弾は、逆に、楽器が発する音を声が模倣する。私自身が演じる「模倣人形」が2人の楽器奏者に操られているが、やがて「人形」は意志を持ち始める。調子に乗ってると―所詮、人形は人形なのである。(今回の出演者とプロデューサーの関係を象徴している…わけではない。)ところで、この作品は、日本語の発話の可能性を探求するシリーズの一環であるが、果たしてこれは「日本語」なのか?…擬音語、擬態語(オノマトペ)が世界各国で異なるように、楽器音の模倣の感覚も、日本人ならではなのであり、そしてそれが別の単語を彷彿とさせたりする感覚も含めて、やはりこれは「日本語」なのである。

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